さらにブラームス


ブラームスには4曲の交響曲がある。どれも素晴らしい曲だと思う。特徴的なのは、それぞれ曲調がまったく異なること。よって聴くほうもそれぞれが状況を選ぶ。


なぜこういうことを思ったかというと、今朝ひさびさの電車通勤だったので第1番を聴きながら来たのだが、朝に1番はきつかった。苦悩から歓喜へという、ベートーベンの第9によく準えられる曲だが、朝のさわやかな気分にはまったく合わない。朝から焼肉定食を腹いっぱい食うようなヘビーさがある。苦悩にしても歓喜にしても朝から重すぎる。


やはり朝は『ブラームスの田園』と呼ばれている第2にするべきだった。
第1楽章からして穏やかで優しいメロディにあふれ、たとえフォルテッシモの部分でもその表情を失わない。中間楽章ではそれをそのままさらに落ち着かせ、終楽章では自然を謳歌するような自らの内面から溢れてくるような歓び。やっぱり朝はこっちだった。


第3番は、先日仕事が忙しくてあたふたしているときに聴いたらとても心に染みた。
4曲の中では最も繊細で悲しい曲。1番と同じような準えをすると、すすり泣きから始まり最後は激しい号泣へという感じ。しかし、最後の最後にはメジャーコードに転じ、かすかな希望を見せて終わる。そういえば、この曲全体の調性はヘ長調長調の曲でここまで物悲しい曲はないかもしれない。


第4番は、ひとことで言えば『そっけない』。そもそも曲の出だしからして前奏なしでいきなり主旋律が出てくる。もともとブラームスはメロディメーカーとしての才能はさほどでもないというのが定説だが、それはあえてそっけなく描いているためじゃないか、4番を聴いているとそういう気分になる。だからこれは1度や2度聴いただけだとまったくなじめない。しかし、何度も聴いているうちに、だんだん心に響いてくるようになる。そういう曲だ。実際にワタシがそうだったのだから間違いない。


どっちにしても、ワーグナーのきらびやかな感じよりもブラームスのちょっと渋い感じがワタシにとってはドイツって感じがする。
フィンケさん=ブラームスと昨日書いたのはそのイメージだけなんだけどね。